歌 枕
比 良(ひら)
比良は比良山の東麓の湖岸の地で,今日の北比良・南比良の地をいう。
「ひら」は傾斜地を意味し、沖縄では「ひり」という。
近江に比良といふ所に、十月ばかり下りて、題ども出だして,山水にもみぢ流る
1 唐錦あはなる糸によりければ山水にこそ乱るべらなれ(恵慶(えぎょう)集・109)
以下略
比良の浦(ひらのうら)
比良の浦は比良付近の浦をいう。『日本書記』に「庚辰(かのえたつのひ)に天皇近江の平浦(ひらのうら)に
幸す。(巻26・斉明天皇5年3月3日条)とあり、このときの行幸は孝徳天皇(あるいは皇極天皇)の行幸であろう。
物に寄せて思いを陳(の)ぶ
1 なかなかに君に恋ひずは比良の浦の白水郎(あま)ならましを玉藻刈りつつ(万葉集・巻11・2743)
比良の湊(ひらのみなと)
竹市連黒人の羇旅の歌八首
1 わが舟は比良の湊に漕ぎ泊(は)てむ沖へな離(さか)りさ夜ふけにけり(万葉集・巻3・274)
注: 「沖へな離(さか)り」は「沖のほうへ離れていくな」 船頭への注文
比良の海(ひらのうみ)
比良付近の琵琶湖をいう。
藤原資隆(すけたか)作1182年
1 比良の海立つ白波の花にまたもみぢせさする山おろしの風(禅林於葉集)
比良の山(比良の山)
比良の山は『比羅の山」『平の山」とも書く。近江国では伊吹山につぐ高山で、東側は急な崖となって琵琶湖に臨み、西側は
は花折断層に沿う安曇川の谷になる。春先の比良おろしは「比良八荒(はっこう)」と呼ばれる。
槐本の歌1首
1 楽波(さざなみ)の比良山風の海吹けば釣する海人(あま)の袖かえる見ゆ(万葉集・巻9・1715)(新古今集・巻18・1700)
寄 海 柿本人麿
2 比良山の小松が末にあればこそわが思ふ妹(いも)に逢わずなりなば(柿本人麿集・349)
比良の山 凡河内躬恒
3 かくてのみわが思ふ比良のやまざらば身はいたづらになりぬべらなり(躬恒集二)
比良に行きてつけるほどに、山に白雲のかかりたりけるを見て
4 ちはやぶる比良のみ山のもみぢ葉に木綿(ゆふ)かけわたす今朝の白雲(安法法師集・28)
近江に比良といふ所に、十月ばかりに下りて、題ども出だ
して 初雪の峰なるを見て
5 氷だになだ山水にむすばねど比良の高嶺は雪降りにけり(恵慶集・114)
風の音の夜高きを聞きて
6 比良の山もみぢは夜の間いかならむ峰の上風(うわかぜ)うちしきり吹く(同・117)
氷
7 雲ははらふ比良の嵐に月さえて氷かさぬる真野の浦波 (大納言経信卿集・88)
鷹狩
8 吹きわたす比良の吹雪の寒くとも日つぎの御狩せで止まめやは(堀川百首・1059)
比良の山に霞立つ
9 見わたせば比良の高嶺の春霞千年(ちとせ)をこめて立ちにけるかな(江帥集・347)
同亭、霞井恋
10 雪消えぬ比良の高嶺も春来ればそことも見えず霞たなびく(六条修理大夫集・172)
和漢朗詠集 巻上 春 早春 編者 藤原公任
みわたせば比良のたかねに雪消えて若菜つむべく野はなりにけり 平兼盛
(麗景殿女御歌合・続後撰集)
なお、この歌は宮城道雄により「比良」の題名で作曲されて、現在も歌われている。
歌枕ではないが今様を集めた「梁塵秘抄」(後白河法皇編1169)に比良に関する今様があったので掲載します。
聖の好んだ食事を列挙した425番
聖の好むもの 比良の山をこそ尋ぬなれ 弟子やりて 松茸・平茸・滑薄(なめすすき) さては池に宿る
蓮のはひ(根)・根芹・根ぬなは(じゅんさい) ごぼう・川骨(コウホネ)・うど・わらび・土筆(つくし)
秋の茸、池に生える水生菜、それに土に生える野菜の三種類に分類してあげている
比良山は比叡山の北側にあり、比叡山や葛川の聖の食料の産地でもあった。
「今昔物語」にも比良山で法華経を読誦している仙人の話が載っている。
現代では井上靖の詩「比良のシャクナゲ」が知られている。
比良のシャクナゲ 井上 靖
むかし写真画報といふ雑誌で"比良のシャクナゲ"の写
真を見たことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖
面の一部が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高く白
い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおほって
ゐた。
その写真を見たとき、私はいつか自分が、人の世の生活の
疲労と悲しみをリュックいつぱいに詰め、まなかひに立
つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道にゆ
られ、この美しい山てんの一角に辿りつく日があるであろ
うことを、ひそかに心に期して疑はなかった。絶望と孤
独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと──。
それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比
良のシャクナゲを知らない。忘れていたわけではない。
年々歳々、その高い峯の白い花を瞼に描く機会は私に多
くなってきてゐる。ただあの比良の峯の頂き、香り高い花の
群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が睡りを想ふと、
その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひ
たすらなる悲しみのやうなものに触れると、なぜか、下
界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なほ猥雑なくだ
らぬものに思へてくるのであった。
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