志賀越え

京都御所を出発して荒神口〜北白川〜山中町〜志賀峠(比叡山ドライブウエイの下をくぐる)
〜崇福寺跡〜滋賀里への道で平安時代には十大寺と言われた崇福寺への道として大宮人が通った道です。

平安時代より桜の名所として数々の歌に詠まれてきた志賀越え。
うららかな春の日に御所から暗い谷の道を行き志賀峠に出ると突然眼下に琵琶湖が広がり、青い空と湖を
背景に舞い散る桜の花びら。
この景色に感動した大宮人は数多くの名歌を残しました。
そしてこの道は都から彼岸へと続く道でもあり、都の霊はこの道を通り彼岸へと帰っていったのです。
現在は京都大学の本部キャンパスに道の一部が占拠され、分断されており(霊も通れずに困っているのでは?)
平安の昔、比叡の僧兵が日吉神社の神輿を担いで京都御所への強訴に使った道でもあります。

今回は滋賀県側から京の都に上がることに。
滋賀里から琵琶湖を背景に滋賀里の最後の集落を抜けると百穴古墳、少し行くと崇福寺跡がありそこで東海自
然歩道に別れを告げ志賀峠を目指す。
道は途中で谷道と尾根道に分かれますが今回は眺望を期待して尾根道をとりました。
同行者は遊ぶことにかけては人一倍熱心で今年もやりすぎて野沢温泉スキー場で剥離骨折し、膝が思うように
動かせないのでリハビリを兼ねての山歩きとなりました。(ヤレヤレ)
杖は2本持っていったのですが1本がどうしたことかストッパーが上手く働かず思うような長さになりません。
今年は恒例の正月登山も悪天候との予報のため断念し、小正月には膝の捻挫と剥離骨折。
今年はどんな災難が待ちうけていることやら。
帰路節分祭の人でにぎわう吉田神社横を通り「今年はしっかり豆まきをせんとあかんなー」と思ったのでした。
帰宅して早々にイワシを食べ巻き寿司を食べこれで豆撒きと意気込んでいたのですが何と節分は明日であることが
判明し豆撒きは中止、翌日は撒くのを失念(イヤハヤ)
今年の幕開け早々いやな感じでしたがやはり予感は当たり、志賀峠を越え荒れた道をかなりいったところで林道
に出ました。ここから修学院辺りに降りたいと地図とにらめっこをしてあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたのですが
結局修学院方面への道は見つかりません。この地図は間違っていると憤慨していたのですがあきらめて北白川への
道を行く事にしました。この道を行くとラジウム温泉の所へ出て、そこから北白川への道は狭くて歩道もなくその上
交通量が多いので歩くのには最悪の道です。人が歩いているのを見たことがありません。
排気ガスを吸いに来たのでもなく、まして車にひかれに来たのでもありません。
静寂と清浄な空気を求めて来たのです。
地図の出来の悪さに散々悪態をついて歩いていくと自動車道に出ましたが、その道の向こうには何と山中町の村落が
現れました。ラジウム温泉よりも遙に標高は高く、ここから麓まで車道を歩くのかと思うと言い知れない怒りが胸の辺り
に渦巻いてきました。今年に入ってからも1月中旬に安野光雅展を滋賀県の愛知川町に見に行った帰りキツネにだまさ
れて180度反対の道を走り同行者にボロカスに言われ、その余韻も覚めやらぬ今また東海自然歩道と志賀越えの道を
取り違えてしまい、老化による思考の硬直性から来る思い込みの恐ろしさを身をもって知らされたのでした。
それに四川省では10位まで愚妻に占拠され栄光の昔に思いを馳せる気力もなくなった己をただ不憫に思うばかり。
(ちなみに同行者である愚妻の記録は2分51秒で頭の回転とは反比例)
昨年の坂下集落からの比良山の登山口を見つけるのに1時間以上もかかったこと,そして恐怖のイブネ遭難寸前事件
それに日本コバ登山口不到着事件と最近の山行はまともに登れた例しがなく、今後の山行に大きな不安材料を背負っ
てしまった。
最近の山行は殆どまともに登れていないのは地図を忘れたりいいかげんに見ていたせいだとの結論を得ていたので,
今回はその轍は踏むまいと事あるごとに地図を引っ張り出してコースを確かめていたのにまた間違えたのでした。
若い頃は沈着冷静・頭脳明晰の4文字熟語が歩いているといわれたこの俺がと思うと涙が頬を濡らすのでした。
頑固偏屈・風癲老人の4文字熟語が頭に浮かびます。
スキーに行くたびに怪我をしてくる愚妻と山に行くたびに道を間違う愚老と今年も先が思いやられます。(ヤレヤレ)

                 

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