平家岳(1441.5m) 
  福井県大野郡和泉村      2002.5.20   2人  晴れ
                                         
自宅4:40~彦根IC~一宮JK~白鳥西IC~油坂料金所~登山口8:00着
発8:15~第一鉄塔10:00~頂上11:15着  発12:00~登山口14:40着

今年は季節が10日程早く進んでいるようですが今週は少し肌寒い感じです。
シャクナゲが綺麗な奥越の山「平家岳」に行って来ました。
三度目の挑戦です。1度目は乳癌摘出手術の為あきらめ 2度目は雨の為中止になり
今回は期待も大きく楽しみにしていました。
4年程前に山名を初めて聞いてどうしてもいってみたいと思っていました。
早朝に自宅を出発。名神、東海北陸道と高速を利用して、九頭竜湖の箱ヶ瀬橋(夢の架橋)を渡るとすぐに「平家岳7K」の標識に従って右に曲がり、2K程行き面谷橋を渡るとすぐに「平家岳5K」の標識がある。ここに登山届とTELの連絡の指示の箱がありました。
すぐにダート道になり、河沿いに車を進めると右手に鉱山跡のボタ山が見え、工事中の看板を通り越し更に石碑やお墓がある所を越しガラガラ道を行くと、広い駐車(車10台OK)場に出ます。
登山口に立派な標識やテープもありました。
こんな秘境の山には誰も出会わないと思っていましたがなんと車2台も来ました。
右の林道を少し歩き木橋を渡ると尾根に取り付きます。
急登で400mを一気に頑張って登りきると、左は平家岳右は鉄塔(伊勢川)方面の分かれ道に。
左に一旦下り再び登り送電線の鉄塔を通り過ぎ、更に鉄塔道沿いに進んで行きます。
振り返れば荒島岳、雪の白山がよく見え素晴らし眺望です。
送電線の整備の為雑木は刈ってあって古木は伐採され今や枯木のオブジェになっていました。

ダメ!!(マイヨール作) 細い女(ジャコメッテイ作)
ぞうさん(團胃熊 作) 飛ぶ(勅使河原送風 作)

シャクナゲとタムシバがまだ咲き足元にはハルリンドウとチゴユリが咲いて心を和ませてくれます。
道は快適であるきやすく5月の風が心地よく吹いてくれます。
第3鉄塔辺りから右手に平家岳のどっしりした山容を見ながらの快適な道になります。
第4鉄塔から下り井岸山をめざします。しばらく行くと鉄塔巡視路との分岐になり右に道を取ります。

もう直ぐ山頂だ! ここが山頂です!


井岸山から少し下り、最後に急登をひたすら踏ん張って登りきり、少し行った所が頂上です。
今日の山頂は全員で8名です。
展望は素晴らしく能郷白山、荒島岳、白山を始めとする奥美濃と奥越の山々が幾重にも連なっている。
平家岳の名前の由来に思いをはせます。
本当に、大昔こんな秘境まで平家の人々が落ちてきたのかな~~~~?
山頂は風もなく気温は20度程あり暑いくらいでした、ランチタイムは雑炊とビールで大満足でご機嫌。
下りは根曲がり竹を採取しながら、新緑に輝いている山を堪能してゆっくり下山しました。
帰りは福井大野市経由で帰りました。
登山道は整備され歩きやすく、日帰りの登山にはよさそうです。

《平家岳》
その昔、源氏の追ってから逃れた平家の落人がこの山に隠れ住んだと伝えられています。
徳川時代には、金・銀・銅が採掘され栄えたと言われています。
大正7年に、「伝染病」が住民を襲い僻地である為1と月で90人もの死者を出すほど猛威を振るうと言う
大変なことになった、墓地の傍らにそのことを伝える石碑が建てられています。
その昔4000人もの人で賑わった面谷村も廃鉱になってからは人も住まなくなり、
昔を偲ぶものは墓と石碑とボタ山以外なにもありません。
そのボタ山も最初に見たときは砂利採集の砂利置き場かなと思ったほどです。

出合った人   6人
出合った花   シャクナゲ ユキザサ チゴユリ  タムシバ ハルリンドウ コイワカガミ カタクリ 
出合った鳥   ホオジロ ウグイス コルリ センダイムシクイ コマドリ シジュウガラ
          ヤブサメ メボソムシクイ ツツドリ
              

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