行市山(659.7m) 

滋賀県余呉町・福井県敦賀市   2008.10.25    曇り  T&A

滋賀県余呉町新堂 毛受(めんじゅ)の墓登山口9:00~林道出合10:00~行市山山頂11:00
発 11:20~13:00登山口

行市山は豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賎ヶ岳合戦で、勝家の重心だった前田利家や佐久間盛政の 
陣所跡がある歴史ある山です。
麓の毛受兄弟の墓は地元の方々が大切にお世話されてます。
獣除けの頑丈な鉄策を開け登り開始です。
さすが砦があった道は歩きやすく足に負担がかかりませんし木々も伐採されて快適です。
紅葉にはまだまだのようですが里山なので植林が多いかと思ってましたが、自然林が
多く二次林の林は明るい雰囲気です。
砦があった所(ピーク)には掘割などが残っています。
山頂近くなると大きな杉の木が円錐形に刈られユニークな形をしています。
  
20数年前の案内書には見晴らしが大パノラマとなっていましたが、今や見晴らせるのは
余呉町のR365沿いの家並みと高速北陸道方面の眺めだけです。
目の前は横山岳、金糞岳、遠く伊吹山が大きく見えます。
県境らしく更に遠く福井県の三周岳、三国岳と目を転ずれば敦賀市の山並みが見えてきました。
植林のない頃は北国街道、塩津街道、尾根づたいに北には刀根峠と北方への重要な監視場所です。
団体さんが狭い山頂を占領されていたので少し離れた所でラーメンタイムとなりました。
おばさん軍団は開放感から話に大変弾んでました。
そうや!!ここは砦のあった場所で佐久間の軍勢も戦いを前に同じように盛り上がってたのでは?
Tが素知らぬ顔して少し下がった所でスケッチをしています。

(付録)
毛受兄弟について
毛受(めんじゅ)兄弟は、兄を茂左衛門、弟を勝助といい、ともに勝家 の小姓として仕えた。
勝家を越前へ落ち延びさせるため、金の御幣(ごへい)の馬印(ばいん)を掲 げて身代わりとなり、
林谷山の砦で奮戦の後、ついにここに果 てる。秀吉も、主君の身代わりとなってここまで戦ったことに
感動し、その亡骸をねんごろに葬り、全長寺の僧に弔いを依 頼したと言う。

出合った人  14名ぐらい(団体)
出合った花   ツクバネソウ オトコエシ アキノキリンソウ コウヤボウキ ノギク(3種類)

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