太神山(田上山・たなかみやま)599.7m 
大津市南部       2006.10.31    T&A  晴れ
枝町林道車止め駐車10:20~太神山~ぐるり一回り~駐車場13:40

S医大で癌の定期健診後、時間があるので近くの山でも歩こうと行ってきました。
家を出る時、琵琶湖周辺は霧の為はっきりしない天気でしたが現地に着く頃は晴れて無風です。
登山口から森林組合の入山禁止の紙が至る所にぶら下っています。
松茸山で9月15日から11月20日までらしく白いビニールのひもが張り巡らされてますが、
今年は暖かくおまけに雨が降らない日々が続いてるので・・・・出るといいのにね。
東海自然歩道になっていてチョットの登りと平行道の繰り返しのラクチンな道です。
信楽への道の石標の所で一休み。
木陰の散歩道

信楽への石標  歴史を感じます 木の花咲くや姫

目の前には優しい姿と御顔の二尊像が不動堂の参道入口でお出迎えです。
よく見ると女顔の方は「木の花咲くや姫」のようです。前の石碑に木花講と刻まれていました。
参道は掃き清められ手入れが行き届き大事にされている様子が伺われます。
縁結びの祠の所から急な階段(手すりつき)を登ると、巨大な花崗岩の上に南北朝時代に建築された
一部が舞台造りになった立派な建物で木々に遮られ全体が判りませんが国の重要文化財だそうです。  

不動寺本堂 奥の院の石に大木が咬んでいる

 
更に奥の院と二等三角点の山頂は展望がなく写真だけ撮り胎内くぐりの岩を通り元の階段を下りました。
地図を頼りに回るルートを行こうと歩いてると婦人病の祠があるのでお参り(偶然にも病院後)しました。
これが狭い怪しげな道で右方向に行けば間違いないと言いながら下ります。
少々藪山になり足元がはっきりしなくなったり道らしくなったりとして、古い赤の小さいテープがあるのみ。
ドンドン下ると湿地帯の道が複雑に入り組んだ所に出ました。
古い木の橋が見つかりこれが信楽方面に行くルートであろうと判断。
逆の方向を見ると何となく人が歩いたような湿地帯の源流らしき所を歩いていると木の橋が3つ
あって間違いない。
開けた所の尾根に取り付き今度は一気に登りました。
一休みして見渡すとここの地形は低山ながら複雑に入り組み持参の地図では判らなくなりました。
尾根に行くとなんと参道に出ました。
残念!!思っていた道じゃなく境界の杭の所を歩いたようで、当初「信楽への道」の石標の所に
出たかったのに手前の尾根に登ってしまいました。
後から考えるとなんでもないルートのようですが、初めての所を歩くのは面白い反面、
反省点もあって楽しめました。
もっとも、いつも反省ばかりで進歩がないような気もしますが。
地蔵堂、勇盛弁財天、泣不動と歴史一杯のお山でした。

出会った人   18名
出会った花   ヨメナ


(田上山ノート)
位置
田上山は大津市の南から信楽町に至る山地で、笹間、矢筈、不動、堂山、国見に分かれてる。
千年前まで、桧、杉、樫などの大木が生い茂る山林地帯でいましたが、奈良、大津の宮殿や寺院の
建築材料を切り出し、その後に植林をしなかったため、風化した花崗岩がむき出しになりました。
おかげで明治時代にトパーズなどのペグマタイト鉱物が発見されましたが、 しかし当時の日本人は
鉱物に関しての知識がまったく無かったので、カットしにくいトパーズは川原に捨てられていました。
オランダ人がやってきて約7.5t分ものトパーズを持っていってしまったと言う事です(残念)。
標高600mの田上山は全山がペグマタイトでかつては水晶やトパーズ等、多くの鉱物結晶を至る所で
採集でき、41種類にものぼる鉱物の産地として知られています。
明治時代、田上山はトパーズの世界的な産地でした。
裸山
古くから都の置かれた、奈良、京都。当然のことながら、都の造営には、膨大な量の資材が必要とされ、
なかでも木材の確保は最重要課題であり、大和に近接する山々からは、大量の木々が伐採されました。
宇治川の上流、滋賀県大津市の田上(たなかみ)山は、あまりにも多くの木々が伐採されたため、現在に
至るまで裸山となってしまいましたが、近年ヤシャブシを植える事で緑地が回復してきました。

『万葉集』の「藤原京の役民(えのたみ)の作る歌」によれば、藤原京造営の木材は、田上山で伐採された後、
筏に組んで瀬田川を流送し、宇治川から巨椋池を通じ、木津川をさかのぼらせて運ばれたといいます。
その量は、柱だけでも数万本。古代における檜材の一大産地であった田上山の木材は、他にも東大寺や
石山寺など諸寺院の造営に盛んに利用されました。
文学
万葉集 第一巻 : やすみしし我が大君高照らす日の皇子
作者: 役民(えきみん)
《前略》石走(いはばし)る、近江(あふみ)の国の、衣手(ころもで)の、田上山(たなかみやま)の、真木(まき)さく、
桧(ひ)のつまでを、もののふの、八十宇治川(やそうぢがは)に、玉藻(たまも)なす、浮(う)かべ流(なが)せれ、
其(そ)を取ると、騒(さわ)く御民(みたみ)も、家(いへ)忘(わす)れ、 ( 後略)
芭蕉
猿蓑集巻之 六幻住庵記に田上山の記述があり、また次の句が載っている

穐風(あきかぜ)や田上山のくぼみより  尚白

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